歴史
京都は日本の首都および天皇の居住地として794年から機能しており、1100年間にわたって政治と文化の中心地でした。
794年に桓武天皇が近くの長岡京に続いて、平安京に遷都したことに始まる都であり、その時に中国の唐王朝の首都だった長安(現在の西安市)を模倣し作られました。その後の平安時代(704年-1185年)は詩、建築、美術、そして宗教などの分野で日本文化が花開いた時代でした。
また、平安時代には侍階級の勃興も起り、それは後に鎌倉での幕府の樹立、および鎌倉時代(1185年-1333年)の始まりへと繋がりました。この時代には仏教の様々な宗派が生まれ、結果として建仁寺、知恩院、西本願寺などといった京都の有名な寺の多くが建築されました。室町時代(1333年-1573年)になると京都の文化的ルネサンスはさらに開花し、生け花や茶道、金閣寺などといった文化的創造物が誕生しました。残念なことに、この後に起きた応仁の乱(1467年–1477年)で武士の氏族たちによる戦闘が京都の街中で繰り広げられたために、都市の広範囲が荒廃するという結果になってしまいました。
戦乱の世となった桃山時代(1573年-1598年)が長く続いたのちに、日本の中世が終わりを迎えると、豊臣秀吉、そして後には徳川家康が徐々に京都を再建していきました。徳川家康が戦で分断された日本を最終的に統合し、政治的権力を江戸へと移したことで、江戸時代(1600年-1868年)の到来が告げられました。江戸時代では長期にわたって安定した平和な時が続き、そのおかげで京都は文化と経済の中心地として栄えることとなりました。その時に登場した商人の階級は後に芸術のパトロンとしての役割を果たすようになります。
動乱の中、日本が世界へと開国し、徳川幕府が崩壊すると、京都では再び内紛が繰り広げられるようになりましたが、明治時代(1868年-1912年)の間に近代国家としての日本が誕生すると、その平安を取り戻しました。